投資家が企業への投資を検討する際、数字が示す企業実績を主体に様々な指標が存在します。これらの指標を基に、投資家は数ある企業の中から「この企業にどれだけの資金をつぎ込めば、どれだけリターンがあるか」を判断しています。
投資家が注視する企業リポートには様々な形態がありますが、昨今、ことに重要視されているのが、「統合報告書」と呼ばれるものです。「統合報告書」とは、その企業が長期に渡って価値創造をどのように行うか、財務資本提供者(投資家及び債権者)に向けた報告書という事になります。
つまり、『企業が事業体としてどのような性格を持ち、これまでどのような実績を残し、それらを踏まえて将来を見据え、どのように企業活動に取り組んでいくのか』を、分かり易く説いた文書です。
財務資本提供者と最良のコミュニケーションを築くためのツールとご理解ください。
2018年11月1日配信の日本経済新聞電子版の記事によると、2018年の統合報告書発行企業数は、大企業を中心に450社を数えており、企業が社会や環境へどれだけ貢献したかを企業選別の判断基準にすえる「ESG投資」の広がりを背景に、同報告書の発行に関心を寄せる企業が増加傾向にあります。
とは言え、人的資源や資金豊富な大企業ならともかく、中小以下の企業にとって発行には大きな負担が伴うのも事実です。投資家は統合報告書を発行する企業は、情報開示に積極的であると好意的に捉えており、発行企業とそうでない企業との格差が開いているとの専門家の見方もあります。言い方を変えれば、統合報告書は企業から投資家に向けたラブレターとも言えるでしょう。
このサイトをご覧の方々の中には、経営者や広報担当者など、企業情報発信に携わる立場の方がいらっしゃることでしょう。当サイトでは統合報告書について、分かり易く解説しています。同報告書についての理解を深め、是非、発行に向けて具体的なアクションを起こすことをお薦めします。
この記事の目次
統合報告書とは
2013年12月に、国際統合報告書評議会(IIRC)※1が発行した「国際統合報告フレーム」によると、統合報告書の定義は次のように記載されています。
「統合報告書は、組織の外部環境を背景として、組織の戦略、ガバナンス、実績、及び見通しが、どのように短・中・長期の価値創造を導くかについての簡潔なコミュニケーションツール」とされています。
そして作成の目的は、財務提供者に対し、その企業が長期に渡って価値の創造をどのように行うか、財務情報と非財務情報とを適切に組み合わせて説明するためです。ここで言う財務提供者とは、取りも直さず、株主を含む投資家を指します。
投資家が企業を評価する場合、企業がどの程度、コストを上回る利益を上げられるか、つまり企業価値の最大化を目指す経営が行われているか、を見ています。企業評価は結局、株価に帰結することになり、投資家は投資を検討している企業を見定める際、判断基準となる指針を求めています。その一つが、統合報告書です。
前述した財務情報とは、いわゆる財務三表と呼ばれる、損益計算書や貸借対照表、キャッシュフロー計算書に含まれる売上高や利益率、純資産や負債、現預金など、数値の裏付けがある、経営状況を示すデータで「定量データ」とも称されます。企業の決算時期には、一定期間の実績として評価の対象とされるものです。
これに対して非財務情報とは、経営者が掲げる経営理念や経営ビジョン、技術力や商品開発力、社員の持つスキルなど、数字には表れない見えざる資産であり、「定性データ」と呼ばれるものです。定量データが過去の実績を見るものであるのに対し、定性データは将来に向けてどれだけその企業が稼ぐ力を持っているかを計る指標となります。
そして、この定量データと定性データとを統合して、企業の過去・現在・未来を通しての経営実態を余すところなく投資家に開示することが、統合報告書の大きな役割なのです。
※1国際統合報告書評議会(IIRC)
主要国の監督官庁、企業、国際的な影響力を持つ投資家、基準設定機関、及び会計専門家やNGOにより構成された、国際的な連合組織。
統合報告書を制作するメリット
ではここからは、統合報告書を作成するメリットについて考察してみましょう。
統合報告書を、企業が中長期の将来に渡って、外部環境をどう把握し、経営組織やガバナンス・実績・今後の見通しをどう反映させ、企業価値を創造していくかを簡潔に記したコミュニケーションツールと定義しました。誰とのコミュニケーションであるかといえば、相手は財務資本提供者、主に投資家です。
ここ数年で、投資家が企業を選別する上での判断基準にも、変化が見られるようになりました。これまで投資家は、企業が開示する財務情報に基づいて、その企業の「稼ぐ力」を見極めていました。しかしこれだけでは、過去の実績をなぞるだけで、将来に向けての企業価値を予測するには不十分です。
そこで、投資家の注目を集めているのが、非財務情報です。コーポレートガバナンス・コード※2によれば、非財務情報とは、「経営戦略・経営問題リスクやガバナンスに関わる情報」と定義されています。経営財政や売り上げなどには反映されない、定性データに属するものです。
経済産業省が平成29年5月に公表した「価値協創のための統合的開示・対話ガイダンスーESG・非財務情報と無形資産投資―」(以下、価値協創ガイダンス)※3を見ると、投資家が投資判断する際に利用する主要情報ソースの構成比率として、非財務情報が財務報告書を大幅に上回っています。
2008年のリーマンショック以降、投資家たちは短期的投資に限界を感じ、長期的な視点に立った投資の必要性に関心をシフトチェンジしていきました。投資家が求めているのは、「長期的な視点に立ち、将来に向けて価値の創造を実現する企業」なのです。財務情報と非財務情報とを合わせた統合報告書は、そうした投資家に向けた格好の情報発信ツールと言えるでしょう。
こうした情報提供は、環境や社会への影響を考慮し、持続可能な経営を目指す企業サイドにとっても、長期に渡ったマネー供給に前向きな投資家の共感を集める上で欠かせないものなのです。
※2 コーポレートガバナンス
コードコーポレートガバナンスを実現するための原則・指針。
※3 「価値協創のための統合的開示・対話ガイダンスーESG・非財務情報と無形資産投資―」平成29年5月29日 経済産業政策局産業資金課
成功する統合報告書の書き方
国際統合報告フレームワークによると、成功する統合報告書の作成方法の要諦として、以下の3点を挙げています。
1.統合報告の定義を明確にする
企業の統合報告は、企業の長期に渡る企業価値創造に関する情報発信の過程であり、統合報告書は定期的に開示されるアウトプットに他なりません。おさえるべきは、「長期的視点に立っている」ことと、「価値創造」すなわち、将来に向けた内容を報告対象と捉えていること、「コミュニケーションのツール」と位置付けていること、の3点です。
2.誰に向けた統合報告なのか
統合報告書は報告書である以上、誰に向けて書かれたものかが問われてきます。この場合の対象者は、投資家や債権者などの財務資本提供者であり、彼らが意思決定する上で資することを目的に作成されなければなりません。
3.資本の概念を明確にする
すべての企業は、利益を上げ、企業目的を遂行するために、色々な形態の資本に依存しています。一例として、財務資本、製造資本、人的資本、知的資本、社会関係資本、自然資本という主要な6つの資本が挙げられます。企業はこれらの資本をビジネスモデルにインプットし、事業活動を通して様々な形でアウトプットします。事業活動のサイクルの中で、その企業がどのような資本を利用し、どのような資本を増減させたかというビジネスストーリーを語る必要があります。
統合報告書の作成ポイント
ここからは、実際に統合報告書を作成する上で、留意すべき点について述べていきます。フレームワークでは、最低限、記載しておくべき7つの内容について指摘しています。
組織概要と外部環境
統合報告書では、企業がどのような事業を、どのような環境で進めているのかを説明する必要があります。これには、主要な事業活動、事業構造、その企業が身を置く市場、扱う製品・サービス、市場での位置、などの企業概要が含まれます。加えて、売上高や従業員数、事業展開している国名や数など、定量情報を絡めて説明する事で企業としての輪郭がより鮮明になるでしょう。
また外部環境については、社会情勢、政治的な背景、環境問題など、企業が長期的に価値創造する上で影響を与えそうな要因の説明も求められます。
ガバナンス
組織のガバナンス構造は、企業の価値創造をどのように支えるのか。その点についての明快な説明も求められます。経営に責任を持つリーダーの能力や経営ビジョン、意思決定構造や性別・人種などの多様性、などが含まれます。ガバナンスのプロセスを事細かく説明するよりも、企業価値創造の過程でガバナンスがいかに適切に機能しているか、を分かり易く説明する事が重要です。
機会とリスク
企業価値を創造する上で、影響を及ぼす可能性のある機会とリスクはなんであるか、それらを企業が正確に把握し、的確に対処する事が出来るかが問われます。統合報告書では、企業が現在置かれている状況で、影響を与えうる内部的・外部的要因の洗い出しが求められます。
ここで気を付けておきたい事は、機会やリスクを単に列挙するのではなく、報告書の対象者が企業価値創造力を判断する上で重要な項目を、企業の戦略やガバナンスなど、他の要素と関連付けながら説明する事が望ましいでしょう。
戦略と資源配分
企業を取り巻く外部環境や、認識されている機会とリスクを考慮し、企業はどのようなビジョンを掲げ、それを実現するための戦略と、目標達成に向けた資源配分を企図しているかを明記するべきです。
さらにそれらがビジネスモデルや、機会・リスクといった他の要素とどのように関連しているか、を説明する必要があるでしょう。加えて、戦略を達成する上での課題や目標達成までのタイムスケジュール、達成の度合いを客観的に計れる指標などを決めておけば、戦略達成までの道のりを示すことが可能です。
ビジネスモデル
統合報告書では、事業展開する上でビジネスモデルがどのようなものか、説明する必要があります。ビジネスモデルを構成する要素は、インプット・事業活動・アウトプット・アウトカムの4つです。企業は戦略に則して、先に記した6つの資本をインプットし、事業活動を行うことで製品やサービスをアウトプットします。
それにより、収益やキャッシュフローなどの内部的なアウトカムと、社会や環境に対する影響や顧客満足といった外部的なアウトカムを生じる事になります。それらがまた6つの資本という形で蓄積され、次のインプットに活かされるのです。この一連の流れをビジネスモデルと呼び、企業のコアコンピタンスとして、報告対象者が理解できるように解説することが求められます。
さらにはこのビジネスモデルが、どれだけの持続可能性を秘めているか、説明しなければなりません。一例を言うと、その企業が市場において、他社と比べてどれだけ差別化されているか。あるいは、企業が提供する製品・サービスが販売後、定期的に収益をもたらす仕組み(保守・修理、使用頻度に応じた課金体制など)が構築されているか、などです。
企業実績
企業が掲げた戦略目標がどれだけ達成されたか、その進捗状況を客観的に示す必要があります。目標を達成したことで、上述した6つの資本がどう変化したか、明示するのです。そして財務資本提供者が、企業の将来に向けた活動を評価する際に必要な情報を示すことが重要になります。これには数字の裏付けが不可欠の財務情報と、非財務情報との適切な関連付けによる説明が望ましいでしょう。
将来の見通し
企業戦略を遂行する上で、今後、企業が抱えると思われる課題や、今の時点で予測される不確定要素を挙げ、それらが将来の価値創造に与えうる影響についても触れておかなければなりません。経営陣が企業を取り巻く外部環境を長期的にどう捉え、企業活動への影響をどのように想定し、考え得る影響に対してどう対応するのか、どこまで準備が整っているのか、報告する義務があるのです。
例文
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は、2017年から、株式運用を委託している17機関に対し「優れた統合報告書」と「改善度の高い統合報告書」を発行している企業の選定を依頼し、毎年発表しています。2019年も1月25日に発表が行われ、「優れた統合報告書」発行企業は延べ67社、「改善度の高い統合報告書」発行企業は87社が選ばれました。中でも、多くの機関から高い評価を受けた企業を下記に明記しました。
「優れた統合報告書」発行企業
<8機関から評価>
・伊藤忠商事株式会社
<7機関から評価>
・株式会社丸井グループ
<6機関から評価>
・大和ハウス工業株式会社
・味の素株式会社
・オムロン株式会社
「改善度の高い統合報告書」
<4機関から評価>
・J.フロント リテイリング株式会社
・ミネベアミツミ株式会社
・株式会社島津製作所
・株式会社三菱UFJフィナンシャルグループ
「優れた統合報告書」発行企業の一社である伊藤忠商事では、統合報告書において経営者からのメッセージに力を入れています、経営理念や経営戦略の詳細な説明はもちろん、経営陣の考え方にも紙面を割いています。創業当時の原点と社長の思いが、ビジネスモデル、さらにはバリューチェーンにまで浸透しています。
これまで拡大してきた企業価値を、次の世代に向けてどのように引継ぎ、持続させていくかというコンセプトを分かり易く解説しています。丸井グループは、企業の独創性を強調し、社長メッセージをはじめとして目指す方向性をはっきりと打ち出しています。
コアバリューである「信用の共創」を基盤に、自社の視点で「企業や社会の持続性」について考え、「店舗・カード・Web」の三位一体のビジネスモデルを提案しています。ことに、メインテーマに掲げた「インクルージョン」というコンセプトが、どれほど日常の業務や未来に志向する事業戦略の中核に据えられているか、具体例をもって解説しています。
味の素では、「ASV(Ajinomoto Group Shared Value)」を通じて、価値創造ストーリーを標榜。詳細なKPI(企業目標の達成度を評価する重要業績評価指標)を設定し、具体的なアクションに繋げる事で、企業価値創造を期待させる内容となっています。企業価値の創造を通じて社会の課題を解決しようとする姿勢から、ビジネスと社会とを有機的に統合しようとする意志が明確にうかがえます。
「改善度の高い統合報告書」発行企業に選ばれたJ.フロント リテイリングでは、サステナビリティ策定に合わせて内容を新たに改定。SDGs(持続可能な開発目標)と連携したマテリアリティの設定と、それに対する取り組みを紹介しています。百貨店業界におけるビジネスモデルの変革を掲げ、具体性のある経営戦略、人材育成への実現に向け、企業が進む方向性を分かり易く表記しています。
実際の統合報告書がどのようなものか、上記の各社のサイトからPDFをダウンロードしてご覧になってみてください。各社とも企業の目標地点と、そこへ至るまでの具体的な道のりが、豊富なデータの裏付けをもとに描かれています。投資家はこれらの企業情報を読み込むことで、企業に対する理解を一層深める事が可能になるでしょう。
統合報告書 今後の課題
これまで、統合報告書の定義、作成のメリットや、制作する上でのポイントなどについて述べましたが、ここからは統合報告書の今後の課題について考えてみましょう。
前述した価値協創ガイダンスによれば、「企業が稼ぐ力を高め、持続的な企業価値を向上させるためには、企業における適切なガバナンス機能の発揮とともに、企業と投資家との建設的な対話を促すことが重要」と記載されており、企業と投資家とが積極的に意見を交換する事の大切さを強調しています。
さらに同ガイダンスでは、企業が中長期的に価値を生み出す源は、強固なビジネスモデルとそれを持続的な成長へとつなげるための戦略であり、有形及び無形資産への戦略投資を視野に入れた経営が重要と説きます。しかし、投資家に企業価値を伝えるべき現状の企業開示は、長期的な投資判断には不可欠のビジネスモデルや経営戦略、ESGなどの非財務情報が不十分であるとの指摘もあります。
投資家は常に、企業を「時価総額をいかに高めていくか」というフィルターで見ています。中長期的なスパンでの価値創造の仕組みとは、中長期にわたってどのように儲けるかを実現するシステムです。これは端的に言うと「自社の強みをどのように活かして利益を上げるか」であり、ビジネスモデルに他なりません。
自社の強みは、人材やブランド力、あるいは製品開発力など、企業によりそれぞれです。自社の事業活動において、価値を生み出す源は何かを的確に認識し、これを社長が自らの言葉で語り、投資家の理解を得る事が最重要課題です。そのためのツールとして、統合報告書の必要性もさらに高まるでしょう。
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